「憤り」という言葉

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プロローグ

さて、年が明けました。

あけましておめでとうございます。

もう1週間が過ぎてしまいましたね。

日、一日一日を大事に生きていかないといけないと思いながらも、ブログをさぼってすみませんでした(笑)

今日も言志四録より抜粋です。

~憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、われ何人そやとは、まさに是~

言志四録 第5条

意訳)発憤の「憤」の一字こそ学問向上の大本である。孔子の高弟・顔淵が「あの理想の皇帝とあがめられた舜王も、われわれと同じ人間ではないか。志さえしっかり持っていれば誰でも舜王のようになれるのだ」といったのも、まさに発憤したからである。

 


「憤」の文字

「憤」という文字を知っていますか?

今回の言葉の中で、私が初めに気になったというか、印象に残った言葉が「憤」という文字です。

この文字って皆さんにとってどうなのでしょか?

(私の主観的な意見ですが、)この「憤」という文字はなかなか触れるのことの無い文字なのではないでしょか?

というか、使うことってありますか??(笑)

「憤」との出会い

実は私と「憤」の文字の出会いは、結構昔で中学の時です。

では、いつであったのでしょうか?

授業で習ったからか? 違います。

漢字検定に出てきたからか?  違います。

実は、ゲームに出てきたからです。

当時「憤」に出会ったゲームというのは、「モンスターファーム」というモンスターを育成して戦わせたり冒険に行ったりするゲームです。

※私が昔結構ハマった好きなゲームです。そこそこの名作だと思います。

ゲーム内で人が育てたモンスターと自分の育てたモンスターを戦わせることもあるのですが、そのモンスターで戦う際、特定のモンスターが特定の条件を満たすと、特別な精神状態になることがあります。

例えば、(その条件などは忘れましたが)「底力」や「泥酔」「本気」など様々あります。

その精神状態のひとつに「憤怒」というものがあり

当時は、それを見ても(子供向けのゲームですが表示は漢字のため)読むことができませんでしたので、自分で調べて「憤」に出会いました。

 


「憤」の意味

憤りというのは、普通に調べると 立腹であったり、腹を立ててる、といった意味が出てきます。

是だけ見ると「怒」と一緒じゃないか?と思われがちです。

当時はじめて私が調べたときもそう思いました。

がよりよく調べてみると、

「怒」に近くも遠からず、

・奮い立つ

・はたから見てもわからない、内に秘めた感情

等といった言葉もついてきます。

特にこの「奮い立つ」という言葉はとても適切かと思います。

「怒」という言葉だと、ただ怒り狂うような表面的なものを指すように感じますが、

「憤」という言葉は、より強く中からふつふつこみ上げてくるような感情

という感じです。

(と、様々な情報を参考に私は認識していますが、博識の方でより正しく適切な表現をご存知の方は教えてください。(_))

こみ上げる言いようもない思いを表現してくれた言葉

上記のように「憤り」の意味をとらえたとき、この言葉は、とても私にとって好きな言葉となりました。

そのままといえばそのままでですが

感情の高ぶりがありこそあれど、

それは怒り狂うでもなく、

気を取り乱すでもなく、

ただ高ぶった様子を表現する言葉を、当時の私はほかに持ちえなかったからです。

 


同じ人間

さて「憤り」に焦点を当てすぎて(笑)大変のんびりと本題に入ってしまいましたが、もう一度今回の言志四録をみてみますね。

~憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、われ何人そやとは、まさに是~

言志四録 第5条

意訳)発憤の「憤」の一字こそ学問向上の大本である。孔子の高弟・顔淵が「あの理想の皇帝とあがめられた舜王も、われわれと同じ人間ではないか。志さえしっかり持っていれば誰でも舜王のようになれるのだ」といったのも、まさに発憤したからである。

この「同じ人間」に類する言葉も実は中学校で(先生が言志四録を知っていたかどうかは定かではないですが)聞く機会がありました。

私は、中学・高校の頃バレーボール部に所属していましたが、その際、強豪と試合する際に監督が言っていた言葉が

「あいては、おなじ中学生(高校生)だ」

というもの。

おそらく、部活動をされていた方はよく聞くのではないでしょうか?

 


結局「憤り」に行きつく

言志四録の言葉や、上記の言葉のように

同じ人間であり、 部活の例でいうと同じ年齢層です。

相手は、ライオンや熊の様な動物でも、スーパーサイヤ人の様な宇宙人でも、見たことのない化け物でもありません。

ですが、引用の文中の舜王しかり、部活の競合しかり、

その地位(もしくは実力)に見合う様々なことを積み重ねてきていることもまた事実です。

基本的に私たちは凡人ですので、そういった積み上げてきたもののある非凡な人たちに追いつくというのは、おそらく簡単ではないでしょう。

そうなるとやはり、私たち人間の体を動かす

その心を動かす原動力となる「憤」が重要になる

と、いろいろと改めて考えさせられる文章でした。

 


エピローグ(負けず嫌い)

ちなみに、私が部活をしていたころは、「憤り」かどうかはわかりませんが、「悔しい」とか「負けたくない」という気持ちも往々にして多かったように思います。

(当時は認識していませんでしたが)

ずっとバレーボールをやっていると(他のスポーツもそうかもしれませんが)実際同じ人間でも、明らかに才のある人間はいます(笑)

(こういってしまうと「あれ?今までの話は何?」って思う方もいるかもしれませんが、ちゃんと続きがあります↓)

確かに才のある人間はいますし、持って生まれたものが違うときもあります。

但し、これも今振り返っての気付きですが、

「試合の勝敗はまたこれと異なる」

ということです。

要因はエピローグには収まらないですので、割愛しますが、

才能の優劣だけが勝敗を決するわけではないことは経験上事実です。

もちろん、その勝利や自身の実力を伸ばすためには、練習そして、その「練習をするぞ!」という「憤」は必須ですが。

 

Ak1-Nakamura

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