プロローグ
~白洲次郎氏を知る~
白洲次郎氏を知っている方はどれくらいいらっしゃるのでしょか?
恥ずかしながら、私は最近まで(彼に対する逸話を聞いたことはあるので、全く知らなかったわけではないですが、)白洲次郎氏を知りませんでした。
更に恥ずかしいことに、はじめて彼の名前を聞いた時は
その話の前に、私の生まれ鹿児島に関する話をしていましたので、
「シラスジロウ」
と聞いた時は、
“シラス(火山灰によってできた地層で、鹿児島の人や地理に詳しい人はご存知かと)”
の方が私のあたまの中で先行してしまったので、
「ん?鹿児島の芸人さんか?」と思ってしまいました。(ご本人に大変申し訳ないです。)
しかしながら、その人を紹介した人の話によればどうにもすごい人とのことで、
「イギリス留学しておいて、白洲次郎を知らないとは何事か!」
とおっしゃっていただいたので、これを機に彼について知ろうと思ったことが今回のきっかけです。
今回の著書について
今回は、
『白洲次郎 一流の条件』(監修 牧山圭男、宝島社)
『プリンシプルのない日本』(白洲次郎(著)、新潮文庫)
の本の学びの共有です。
といっても、先に紹介しました『白洲次郎 一流の条件』からの抜粋で学びを共有してまいります。
余談:2冊合わせて呼んだ理由
ではなぜ両著を示しましたかといいますとちゃんと理由があります。
それは、『白洲次郎 一流の条件』の方がわかりやすい(ですし読みやすい)のですが、
著者がご本人ではないからです。
あとあと、書籍を読んだり調べたりしてみると、
監修者の牧山圭男氏は、白洲次郎氏の、娘婿とのことですので、親類として近くで彼のことを見てきたので、信憑性は高いかと思いますが、
読む前は私はそれも知りません。
第3者が著名人の方の本を書くと、どうしても著者の主観やその方の立場によって曲解を起こす可能性がありますし、
ひどいときは崇拝的な意見が入り、事実が乗ってないなんてこともありますので、あわせてご本人の書いた「プリンシプルのない日本」を読み、
彼の人柄やどういった方でどういった時代を生きた方なのかをちゃんと知っておきたかったというわけです。
結局のところ、『白洲次郎 一流の条件』のほうが、まとまってて紹介しやすいので、こちらから抜粋していこうかと思います。
(←私が楽なだけです、ごめんなさい(笑))
フェアネスを重んじる
今回私が、この本を読み白洲次郎氏から感じ取った(というか学ばせていただいた)ことは、フェアネスです。
決して勝手な人ではない
白洲次郎氏のことをよく知らずに、表紙の
「人に好かれようと思って仕事をするな」
の文章や、*有名なGHQとのやり取りに関する話など断片的なことを聞いてしまうと、
(本屋さんが読み手気を引くためということもありますが)
やんちゃなイメージが独り歩きしてしそうな気がします。
*有名なGHQとのやり取りに関する話:有名なGHQとのやり取りはいくつかの話があり、GHQにとっては他の日本人とは違って毅然と立ち振る舞う彼に対して、「唯一、従順ならざる日本人」と言わしめた。
(この話に関しては、有名どころの話が多いですので、このブログでは割愛させていただきます。)
「唯一、従順ならざる日本人」
「唯一、従順ならざる日本人」
と聞くだけでも、ただものではない感じはしますが、
本を読んでみると、彼もただ乱暴にこうしたことしたわけではないことがわかります。
以下抜粋になりますが。
“昔から弱いものが強いものに押さえつけられるのは、悔しいことに間違いはないが、何ともしようがないことだ。結局は押さえつけられることがわかっていても、事実を率直に言う勇気は持つべきである。”
~『白洲次郎 一流の条件』p35より抜粋~
という言葉からどこまで伝わるかわかりませんが、他の文面から私が感じ取ることは、
決して
「戦争にやられたからはらいせに」とか
「一矢報いたい」とか
感情的な感覚ではなく(もちろん反骨精神はあったようですが)、
白洲次郎氏の言葉は、
純粋に立場はどうあれ、その言動にフェアに(中立的かつ客観的になって)向かっているという点です。
共感と自分の在り方
「常に、フェアで正しい意見と言動を、立場に関係なく」
の重要性を改めて学ばせていただきました。
ただ、これは当たり前のことを当たり前にすることが難しいように、
「常に、フェアで正しい意見を立場に関係なく行う」
ことは、正しいと思っていても知らぬ間に、できていないことも多いです。
知らぬ間に周囲の人や知人親しい人に対して、
無礼で会ったり、見下してしまったような態度をとってしまっていないか?
目上の人や格上の人に対して、つい己を卑下し、こびてしまったり、言うべきことを言えていないことはないか?
改めて考えさせていただきました。
抜粋理由 ~人と人の付き合い方~
今回、この本の中でも、このような学びを抜粋した理由がちゃんとあります。
「共感」
一つは、日ごろ気にしていることだからです。
もっとわかりやすく言うと、「共感」をしたからです。
誰に対してもフェアであり、一貫性をもって日常生活に接することは、ある種私の日々のテーマでもあるからです。
と、偉そうなことを言っても、未熟者です。
だからこそ、今回の本ではより筋の通し方というか、白洲次郎氏の言動から
「あ、なるほど こういう筋の通し方があるのか」
といろいろと学ばせていただきました。
「人」
一つは、人と人の付き合い方の大きな参考になったからです。
これは、私の持論ですが、どんな役職や立場、それこそ、
社長でも、
会長でも、
フリーランスでも、
大企業の末端社員で、
もはやニートでも
「人と人」の付き合いは避けて通れないと思っています。
自覚がなくてもどこかで支えられていると(私は勝手に)思っています。
客観的に見たときに
相手の立場によって態度や言ってることを大きく変えるような人を信じられるか?
というと、大概の人は「No」なのではないでしょうか。
私も同様です。
そして、その逆もしかりで、筋の通った人は、
(そのぶんそれを嫌う人には嫌われるかもしれませんが)
信頼たる人物かと思います。
(これが写真の表紙の一つの真意かととらえています。)
「覚悟」
この時代(以前)で名を挙げてる人に感じることの一つが「覚悟」です。
「決心」といってもいいかもしれません。
“「毎日家を出るときには、もしかしたら今日は殺されるかもしれないが、日本の将来の為に言うべきことだけは言っておこうと思っていた」”
~『白洲次郎 一流の条件』p.37より~
戦後ということもあったかもしれませんが、
自分ではなく「日本」に住む人々の為に、ここまでできるというのは、やはり、「覚悟」「決心」なしにはできません。
逆に私の師も言っていますが、
「まずは、やるときめること」
というように、いいかえれば、決心と覚悟をもって取り組み向かい合えば、大概のことはなせるのかもしれません。
ジェントルマン (be gentlman)
白洲次郎氏は、若かりし日にイギリスに留学しています。
その際に、英国紳士としての振る舞いに触れ、上記の様なフェアネスや毅然とした態度を構築する一つの要因となったようです。
『白洲次郎 一流の条件』の中の第3章、第4章では、「品格」や「趣味、遊び」という項目で、「オシャレ」についても触れています。
時々Twitterでも触れますが、身振り手振りや、見せ方はとても大事です。
(もちろん中身も伴ってこそですが(笑))
白洲次郎氏も、服装や振る舞いにはしっかりとした軸をもって行動されていたことがわかりますし、
本でわざわざ2章つかって紹介されているので、その重要性が伝わってきます。
(三宅一生氏との交流もあり、彼からもオシャレの太鼓判を押されたそうです)
実際のところ、当時の写真を見ても、純粋にかっこいいです!
エピローグ
奇遇なことに(?)私も、イギリス留学経験があります。
プロローグで、「イギリス留学しておいて、白洲次郎を知らないとは何事か!」といわれたのは、こういうわけだったわけですね。
実は白洲次郎氏には、その当時友人になり晩年まで親しく長い付き合いのあった友人「ロビン・ビング」という方がいます。
私の憶測ですが、彼からもいろいろと英国紳士としての振る舞いを聞いたりして学んだんではないかと思います。
実はさらに奇遇なことに(?) 私にも、イギリス留学時にできた友人でもうすぐ10年になるのではないかという位付き合いの長いイギリス人の友人(私にとっては親友です)がいます。
なんというか、その友人や、この境遇には感謝したい気持ちの反面、
同じ英国留学経験者として、ここまで違うというのは、情けないので、
今後も精進して白洲次郎氏のような立派な方になれるように、努めます。(笑)
Ak1-nakamura